アニメで学ぶ歴史#01『百錬の覇王と聖約の戦乙女』1話

こんにちは! 斜構です。

今回はアニメ『百錬の覇王と聖約の戦乙女』第1話に登場する謎のセリフの考察を通して歴史の知識を深めていきたいと思います。

第1話のあらすじはこちらです。

現代からユグドラシルに召喚された周防勇斗は、小さな氏族《狼》の宗主として隣接する大国《角》との戦争を指揮していた。スマホから得た戦術の知識、そして特殊な力『ルーン』を持つ少女フェリシアとジークルーネの力で見事勝利を収めた勇斗は《角》の宗主と対面することになる。しかしそこに現れたのは年端も行かぬ若き宗主リネーアであった。

TVアニメ「百錬の覇王と聖約の戦乙女」EPISODE 1「盃の誓い」

アニメ第1話で謎のセリフ?

本編をご覧いただくと分かるのですが、第一話の前半は『角』という勢力との会戦を描いています。

オープニングがあけてすぐに『角』という勢力が有するチャリオット(戦闘用馬車)部隊を、ファランクスで撃破する、というシーンが流れます。

そんな中、3:25付近で主人公である周防勇斗が

「ファランクスの陣形。あれは俺が考えたわけじゃない。凄いのはアレクサンドロス大王や織田信長だ」

と言っています。

???

ファランクスと織田信長……?

まるで織田信長がファランクスを使っていたとでも言うような、不思議なセリフです。

「ファランクス」とは

そもそも「ファランクス」とは、 丸盾と長槍を持った重装歩兵による密集陣形のことです。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ファランクス(マケドニア式のファランクス)

その歴史は紀元前2500年ほどの南メソポタミアまで遡るそうですが、この陣形を大々的に用いたのは紀元前7世紀以後の古代ギリシャ世界の国々です。

ファランクスは、それぞれの国や運用する指揮官によって、様々な改良が施されました。

紀元前4世紀頃、マケドニア王国の王、ピリッポス2世がマケドニア式ファランクスを創始しました。その特徴は当時の標準よりも長い槍であるサリッサの採用と方陣の大型化でした。さらに歩兵と騎兵の連携による新戦術を用いることで、彼は全ギリシアを征服したのです。

彼の死後、マケドニア式ファランクスは息子のアレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)に受け継がれました。皆様ご存じの通り、アレクサンドロス3世は東方遠征によってエジプトやペルシャを征服しました。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』アレクサンドロス3世(愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス)

というわけで、謎セリフの前半部分である「ファランクスの陣形。あれは俺が考えたわけじゃない。凄いのはアレクサンドロス大王」というセリフは、あながち間違いではありません。

ただし、ファランクスと言う陣形はアレクサンドロス3世が生まれる遥か前から存在した、ということは記憶にとどめておくべきでしょう。

ファランクスと織田信長に関係はあるのか?

さて、ファランクスを使って古代世界を制したアレクサンドロス3世が生きていたのは、紀元前356年~紀元前323年です。

一方、織田信長は1534年~1582年の近世日本で活躍した人物です。

時代は1800年以上違いますし、場所も6000km以上違います。

もうお分かりかとは思いますが、一般常識的に考えて、織田信長はファランクスを使っていません。

つまり、謎セリフの最後の部分である「や織田信長だ」は誤りです。

ファランクス、アレクサンドロス3世、織田信長。それぞれの基礎的な情報を知っていれば、このようなセリフは生まれなかったはずです。

では、なぜこのようなセリフがアニメに登場してしまったのでしょうか?

謎セリフが生まれた原因を探る

Googleで「織田信長 ファランクス」と検索してみたところ、興味深いweb記事を発見しました。

《歴史の奇妙な一致》 アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)と織田信長の戦術・戦略 〈2316JKI47〉 | Kijidasu!
皆さんは、古代西洋史におけるカリスマ、アレクサンダー大王と日本史上の大英雄である織田信長と

この記事は「アレクサンドロス3世と織田信長の人生や性格、戦術には多くの共通点があった」というテーマで書かれています。記事には以下のような記述があります。

先ずアレクサンダーは、伝統的に用いられていたファランクス部隊の軽装化と、盾を小型化して長槍を更に長大にすることで、当時としては非常に精強な軍隊を編成しました。 また彼は戦況に応じて異兵種(重・軽装歩兵、弓兵、重・軽騎兵など)を組み合わせた混成部隊により、多種多彩な敵対勢力の軍勢に、臨機応変、柔軟に対応することが可能であったと云われています。

一方、信長においては、新兵器の導入に関して鉄砲の威力に着目して大量に装備し活用したことは周知の事実ですが、アレクサンダーと同様に槍を改修して活用しています

彼は、同じく槍を長くしてファランクスに似た集団で戦う戦法を確立しました。これは戦闘技術力の低い雑兵たちに長槍を持たせ、集団で槍衾を作って戦わせるものです。一説には突くのではなく、上から叩くように攻撃したとも伝わっています。ちなみに、当時の他国の槍は2間(けん)ぐらいが一般的で、織田軍のものは3間から3間半といわれていますから、1間(約1.8m超)以上は長かったことになります。アレクサンダーのマケドニア軍の長槍(サリッサ)も、全長はほぼ同じ5m弱~6m強程度だったとされています。

《歴史の奇妙な一致》 アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)と織田信長の戦術・戦略 〈2316JKI47〉

このweb記事は「アレクサンドロス3世と織田信長には似てるところがあるよね」と言っているだけで、織田信長がファランクスを使ったとは書かれていません。

しかし、もしかすると……

『百錬の覇王と聖約の戦乙女』の原作者、もしくはアニメの脚本家が、仕事のため戦史の情報を集める中でこのWeb記事(もしくは似たような内容の記事や書籍)を読み、「長い槍を使用した集団戦法がファランクスであり、織田信長はそれを得意とした」と誤解した可能性があるのではないでしょうか?

真相は永遠に分かりませんので、あくまでも想像ですが、そう考えると辻褄が合います……。

「歴史知識で無双チート!」を描く難しさ

前掲のweb記事は大変面白い内容ではあるものの、世界史の知識がない人は誤読してしまうのではないか……と思われる箇所が他にもいくつか見受けられます。

例えば、ファランクスを構成していたのは重装備を維持できる、ある程度裕福な市民階級の人々でした。

しかし、それを知らない人が

彼は、同じく槍を長くしてファランクスに似た集団で戦う戦法を確立しました。これは戦闘技術力の低い雑兵たちに長槍を持たせ、集団で槍衾を作って戦わせるものです。

という文を読むと、「ファランクスは雑兵によって構成されていたのか」と誤読してしまう可能性もあります。

資料を誤りなく読み解けるレベルの知識が必要、と考えると「歴史知識で無双チート!」のような作品を書くのには特有の難しさがあるなぁ……と思います。

(蛇足)織田信長が長槍を用いたという根拠

この原稿を書く中で、織田信長が長槍を用いたというのを、恥ずかしながら初めて知りました。しかし色々と検索してみても根拠となる論文や書籍のようなものをなかなか見つけられませんでした。そんななかで、これかな?と思うものを発見しましたので書き記しておきます。

信長旧臣の太田牛一が著した『信長公記』には以下のような記述があるそうです。

信長十六、七、八までは、別の御遊びは御座なし。馬を朝夕御稽古、又、三月より九月までは川に入り、水練の御達者なり。其の折節、竹鑓にて扣き合ひを御覧じ、兎角、鑓はみじかく候ては悪しく侯はんと仰せられ候て、三間柄(さんげんえ)、三間々中柄(さんげんまなかえ)などにさせられ、其の比(ころ)の御形儀、明衣(ゆかたびら)の袖をはずし、半袴、ひうち袋、色々貼余多付けさせられ、御髪はちやせんに、くれなゐ糸、もゑぎ糸にて巻き立て、ゆわせられ、大刀、朱ざやをささせられ、悉く朱武者に仰せ付けられ、市川大介めしよせられ、御弓御稽古。橋本一巴を師匠として鉄炮御稽古。

河南邦男氏発表資料(信長公記 首巻 上総介殿形儀の事)

太字部分を現代語訳すると、以下のようになるそうです。

信長公は十八頃までは特別の遊びはせず、朝夕馬を責め、3月から9月までの間は川で泳ぎ、水練の達人であった。この頃、竹槍を使った仮戦を御覧になり、槍は短くてはいかぬと考えて、自軍の槍を三間柄や三間間中柄などの寸法に改良した。

私訳 信長公記 首巻 第一段~二十段

確かに、信長が短い槍はダメだと言うことで長い槍に改良したということが書かれていますね。

今回のまとめ

① アニメ『百錬の覇王と聖約の戦乙女』第一話のセリフの一部に間違いがある。

② 織田信長はファランクスを使っていない。

③「歴史知識で無双チート!」的な作品を書くには、ある程度の歴史知識が必要である。

④ 『信長公記』には織田信長が長い槍を採用したという記述がある。

⑤ ピリッポス2世や織田信長は、敵よりもリーチの長い武器を兵士に持たせることで戦闘を有利に進めた。

備考

文責:斜構 宅夫

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