アニメで学ぶ歴史#03『八男って、それはないでしょう!』第1話

こんにちは! 斜構です。

今回はアニメ『八男って、それはないでしょう!』第1話をキッカケに歴史の知識を深めていきたいと思います。

第1話のあらすじはこちらです。

商社勤めのサラリーマン・一宮信吾がうたた寝から目覚めると、 見知らぬ世界でバウマイスター家という貴族の息子・ヴェンデリン(ヴェル)という名の 5歳児になっていた。 戸惑いつつも、一先ず貴族の息子であれば食べるに困らないと安心するが、 実は僻地の貧乏貴族の八男である事実を知り――。

TVアニメ「八男って、それはないでしょう!」第1話「八男って、それはないでしょう!」

アニメでの描写

アニメ本編をご覧いただくと分かるのですが、15:00付近のシーンで主人公の兄たち(バウマイスター家の三男~五男)が実家を出て王都へ向かう場面が描かれます。

領地はすべてクルト兄さんのもの

「俺たちは継承権放棄の代わりに手切れ金をもらって家を出る。その瞬間に貴族も卒業ってわけだ」

「まあ、ヘルマン兄さんは次男だから、クルト兄さんに万が一のことがあったときのために分家に婿入りしたけど、俺たちは王都で自分の道を探すしかない

文字の勉強をして兵士や下級官吏の試験を受けたり、冒険者を目指したり、すべては自分の腕次第ってことだ」

といったセリフが並びます。

実際の中世ヨーロッパの貴族の子弟も、こういった人生を送ったのでしょうか?

長子単独相続はいつごろから始まったのか

そもそも、西ヨーロッパは、すべての男子が土地を平等に切り分けて相続するのが普通でした。

しかし、11世紀頃から長子単独相続が浸透していきました。

しかし、こうした氏族制的家族像は11世紀から変化し、男系による単独相続を特徴とする明確な血統意識によって支えられた家門を形成するとカール・シュミートは指摘した。(中略)

10~12世紀頃に進展した貴族の在地化とその支配の領域化といった新しい社会動向と密接に関連した現象としてとらえることができ、西欧の封建化や貴族身分の形成と不可分に結びついていたと言える。

『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』(堀越宏一/甚野尚志 編著)113頁

このように長子単独相続は封建制の広がりとともに、各地に浸透していったようです。

中世ヨーロッパ貴族の次男以下の選択肢

さて、こうして土地を相続できなくなった次男以下の子どもたちには、どのような選択肢があったのでしょうか。

社会的に長男単独相続(直系家族)化が進行し、次男や三男として生まれた者の選択肢は主に2つだったようです。それは、

11世紀頃の北フランスおよび南フランス、それにドイツでは、社会の上階で直系家族化が進行し、あふれた次男・三男は修道院に入るか、傭兵部隊へ行くしか選択がなくなりました

『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』

傭兵部隊、もしくは修道院だったようです。

① 傭兵として生きる

まず、傭兵という選択肢についてです。

戦争というものが国家レベルになり、王たちは、職業的な兵隊を大量に備い入れるようになっていました。食い詰めた次男・三男たちはそれに応じて、将兵として報酬を得るようになります。裕福な上層階級・領主の息子たちは最初から幹部候補でした。(中略)

この傭兵の形を変えたものが十字軍(11世紀末から13世紀)だったのです。十字軍は、ウルバヌス二世が聖地エルサレムをイスラム諸国から奪還するために志願者を募った遠征軍で、自発的な義勇軍や民衆の十字軍も含まれていました。

『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』

この時代、軍の主力は封建的な騎士でしたが、戦争時の援軍や国王直属軍の補強として傭兵の需要はありました。

(なお、貴族の次男・三男などが領地を求めて十字軍に参加した、というのが大衆に膾炙している説ですが、異論も多々あるようですので今回は深入りしないでおきます。)

② 聖職者として生きる

次に修道院に入り聖職者として生きるという道についてです。

また、貴族が聖職者の供給源であったことは、教会・修道院との緊密な関係を作り出した。分割相続権を要求できる次男以下の男子が世俗を捨てることで単独相続は実現されていった。その結果、彼らは一族の所領支配と政治権力にとって重要な教会・修道院に送り込まれ、聖職者としての地位と名誉の獲得を期待された。寡婦たちを受け入れた女子修道院の役割も重要であった。そして、一族の者が聖職にあった教会・修道院は、多くの場合その家門の墓所として菩提寺的役割を果たすこととなった。

『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』115頁

『八男って、それはないでしょう!』では、貴族の次男以下の男子は成人と同時に平民となり、一族とのつながりも希薄になるような描写がされていました。

現実の中世ヨーロッパにおける貴族の次男以下は、主に聖職者としての栄達が期待されていたようです。領地も継げないし、妻帯もできないのに、家のために尽くさねばならないとは…… 大変な人生ですね……。

ちなみに、フランスの周辺部やドイツなどでは、以下のような事情もあったようです。

そのカラクリは次のようなものです。直系家族化が始まったフランスの周辺部(ただし、まだフランス王国の領土ではなく、独立の公国や伯爵領です)やドイツなどでは、長男が領地と城を受け継ぎますが、まだフランク族特有の平等分割の名残があったため、次男・三男にもアパナージュ(親王領)といって領地が分与されます。しかし、次男・三男がそこの領主となってしまうと領地が分割されてしまいますので、アバナージュは次男・三男が修道院に入ると同時に修道院に寄進されて修道院領となります。修道院としては寄進を受けていますから、その修道士を幹部にしなければなりません。 多くは修道院長となります。ところで修道士は独身が義務ですから、寄進されたアバナージュは水遠に修道院のものにな るはずですが、しかし、ここには甥相続という抜け道があったのです。つまり、修道士となった次男・三男の甥(つまり跡継ぎとなった長男の次男・三男)が今度はその修道院に入ると、叔父の跡を継いでまた修道院長となるのです。こうして、その修道院は半永久的に領地を寄進した王侯貴族の「所有」となるのです。

『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』

甥相続というのは、いわゆる代襲相続(本来、相続人となるべき妻子や親兄弟がいない場合、孫や甥姪が相続すること)のことです。

こうして広大な修道院領が生まれるわけですね…… 興味深いです。

まとめ

① 中世の西ヨーロッパでは、11世紀ごろから長子単独相続が浸透していった。

② それによって食い扶持がなくなった次男以下の子どもは、主に傭兵や聖職者として身を立てた。

③ アニメのように「領地が継げないなら家と縁を切って身一つで立身出世だ!」とはいかず、教会なり軍なりで出世することで一族の政治権力を増大させることを期待されていた。

④ フランスの周辺部やドイツなどでは、甥相続という制度を使い、貴族の次男・三男を修道院長として送りこみ続けることで、修道院領を半永久的に貴族が所有する、というケースもあった。

備考

文責:斜構 宅夫

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